「路面電車と岐阜の街」「岐阜の街」ロケ地の旅映画「薄れゆく記憶のなかで」目次16      前のシーンへ    次のシーンへ



ロケ地の旅 映画「薄れゆく記憶のなかで」シーン 16


 ・練習場〜帰り道

 ・帰り道 堤防

  お互いを意識し始めた、二人での帰り道(寄り道かも)のシーンです。
  前半の堤防を歩く部分は、大縄場大橋(撮影当時はなかった)〜鏡島大橋間の長良川左岸
  堤防道路での撮影と思われます。


岐阜市内、長良川左岸堤防道路
 左岸堤防道路        2003年10月 撮影


  2003年3月に 今泉排水 ゲート の工事が完成し、堤防の強化と共に仕切堤が撤去さ
  れ、堤防の形状も一部変更されました。
  この堤防道路の忠節橋〜大縄場大橋〜鏡島大橋間は休日の昼間帯に自動車通行止めとなる
  ため、当時とあまり変わっていない景色を楽しみながらの散策も出来ます。

  上の画像は、復活した灯ろうのある緑地帯付近から撮影しました。
  映画の撮影当時とは道路の位置が変っているため、撮影位置の特定は困難を極めました。
  最終的には後方にある煙突と鉄塔、それぞれの大きさと位置関係からおおよその撮影角度
  を想像するしかありませんでした。


堤防道路(水門〜大縄場大橋間)より
 水門〜大縄場大橋間より2003年 9月 撮影
堤防道路(水門付近)より
 水門付近より     2003年 9月 撮影
堤防道路(道路合流部)より
 道路合流部より    2003年 9月 撮影
堤防道路(道路合流部の西)より
 道路合流部の西より  2003年 9月 撮影


  上の画像は、堤防道路上で上流から下流へと場所を移動して撮影しました。
  そして角度的には道路の合流部付近が撮影場所であるとの結論に達しましたが、現在の道
  路上ではぴったりとくる場所が見つかりませんでした。

  いろいろ考えた結果、かつて堤防道路はこの場所にあった水門を回り込み、南側へΩの字
  形にカーブしていました。
  そこで、現在は無いカーブの東側から西側を撮影したものであるとの結論に達しました。



 ・帰り道 突堤

  引続き、二人での帰り道のシーンです。
  船着き場のような突堤で寄り道しますが、川幅や水の色などからかなり下流ではないかと
  思いました。


海津町、突堤
 突堤            2003年10月 撮影

海津町、堤防
 突堤付近より堤防を望む   2003年10月 撮影


  この突堤の捜索も困難を極めました。
  後から思えば水面下に沈んでいたのですから、どんなに捜しても見つからないわけです。
  最終的には自転車と徒歩で堤防をしらみつぶしにし、ついに川へとせり出したコンクリー
  トの構造物を発見しました。


県営日原渡船の小屋
 県営日原渡船の小屋  2003年10月 撮影
突堤の全景
 突堤の全景      2003年10月 撮影


  結論としては、突堤は海津町(平成17年3月に市町村合併により海津市となる)の長良
  川右岸堤防にある県営日原渡船の旧船着き場で、現在は長良川河口堰の運用開始による水
  面上昇のためほとんど水面下にある(船着き場は移設)のではないかと思います。

  また、二人が歩いている川岸に近い道は撮影当時よりも川側にあるように感じます。
  これは堤防の補強や塩害の防止のため、ブランケットという高水敷が設けられたためで、
  当時の川岸は今より数十メートル堤防側だったことになります。



  参考文献
  ・長良川河口堰ホームページ を参考にさせていただきました。





ロケ地の旅 映画「薄れゆく記憶のなかで」16   Vol. 1 - 1      2004年11月10日
初版 2003年11月10日
URL  https://www.minoden.com/usureyuku/scene16/scene16.html