「路面電車と岐阜の街」「岐阜の街」岐阜の神社 加納天満宮


 岐阜の神社 加納天満宮




加納天満宮
     加納天満宮        2000年 8月 撮影




  加納天満宮

  文安2年(1445年)斎藤利永が沓井城(旧加納城)を築き、その守護神として天満宮を勧請しました。
  古記によれば創始は更に百余年以前で、上加納に祭祀せられていました。
  その後城主斎藤利政(道三)が稲葉山城に移り、沓井城が廃城となった後も天満宮は住民たちによって守られました。

  慶長5年(1600年)関ヶ原の戦い後徳川家康が加納城を構築した際、天満宮が城郭内に入ったので現在の場所に
  移しました。
  加納城初代城主奥平信昌、正室亀姫をはじめ住民の信仰は篤く、今に受け継がれています。
  昭和20年7月9日の岐阜空襲によって本殿等が焼失しましたが、昭和23年に復興しました。

  (参考文献)加納天満宮の御由緒説明板を参考にさせていただきました。



  市重要有形民俗文化財 「山車」   昭和59年3月19日指定

  加納天満宮の山車は大唐破風(おおからはふ)造、高さ約5mの三層構造をしています。
  濃尾大震災(明治24年)で焼失しましたが、明治35年頃に再建されました。

  (参考文献)文化財説明板を参考にさせていただきました。




「傘祖彰徳碑」
 「傘祖彰徳碑」    2000年 8月 撮影





  加納天満宮の境内には「傘祖彰徳碑」という石碑が建っています。
  その隣には加納傘の沿革と題された石碑があり、それによると加納の傘は寛永16年(1639)年に松平丹波の守
  光重が播州明石から加納城主となった時に傘職人を連れて来て傘の製造に従事させたのが始まりと伝えられています。

  その後加納の傘は同業者の結束と藩主の奨励によって発展し、戦時中の統制を乗り越えて復興しましたが、洋傘が普及
  するにつれて生産は減少しました。
  しかし加納傘の伝統は今も受け継がれ、近年は美術品として海外へ輸出もされています。

  (参考文献)「加納傘の沿革」碑を参考にさせていただきました。




  交通  岐阜バス「加納桜道」バス停下車 徒歩5分(実測)






岐阜の神社 加納天満宮   Vol. 7 - 1      2005年 5月17日
初版 2000年 9月 1日
URL  https://www.minoden.com/jinja/j_kanou/j_kanou.html