「路面電車と岐阜の街」「路面電車」(過去のページ)岐阜市内線の旅


「過去のページ」


このベージは、過去に製作したページを参考用にそのまま残したものです。

2005年(平成17年) 3月31日をもって名鉄岐阜線区の全路線(名鉄揖斐線、岐阜市内線、美濃町線、田神線)は廃止となりました。

以下のページ内容は廃止以前のものです。



 岐阜市内線の旅




新岐阜駅前電停
 新岐阜駅前電停    2004年11月 撮影



 沿線図


忠節駅 忠節駅
 忠節は岐阜市内線と揖斐線の接続駅
 黒野と新岐阜方面を結ぶ列車はすべ
 て直通運転されている。
 
路線図(忠節)   
忠節橋 忠節橋南 忠節橋
 銀色のアーチが美しい忠節橋。
 かつて映画の舞台となった。

忠節橋南
 忠節橋への坂道を行く電車。
 プラタナス並木が続く。
路線図(早田〜西野町)   
千手堂の電停 徹明町の電停 左 千手堂
  かつては鏡島線との分岐駅。
  写真の奥が鏡島、右が忠節方面。

右 徹明町
  写真は美濃町線の徹明町電停。
  市内線の徹明町は通りの反対側。
路線図(岐阜駅前〜本郷町、徹明町〜競輪場前)   
岐阜駅前 新岐阜駅前の電停 左 岐阜駅前
  JR岐阜駅から地下道を通り、
  安全地帯のある電停へ。

右 新岐阜駅前
  電停は名鉄岐阜駅正面の道路上にある。
  緑色に塗られたエリアが電車の乗り場。





 岐阜市内線


 岐阜の街を走り続けてきた路面電車。

 明治44年2月11日、「美濃電気軌道」によって岐阜駅前〜今小町間(現在の新岐阜駅前
 付近から徹明町を経て市役所の少し北まで)が開通し、その後も路線の延長が続きます。

 長良〜高富間は当初「長良軽便鉄道」により開通しましたが、後に「美濃電気軌道」に合併
 同社の路線となりました。
 大正13年には千手堂〜鏡島間が開通します。

 昭和20年7月の大空襲で焼け野原となった岐阜市内にあって、電車の復旧は驚異的な早さ
 でした。

 昭和23年に現在の忠節橋が完成して市内線と揖斐線の連絡が可能となり、ついに同29年
 現在の場所に移った忠節駅において両線のレールが接続されました。

 しかしモータリゼーションの波が打ち寄せ、日本中で路面電車廃止の嵐が吹き荒れるなか
 昭和35年には高富線が、昭和39年には鏡島線が相次いで廃止となります。
 この状況を打開すべく 昭和42年には市内〜黒野間の直通運転が開始されましたが、昭和
 63年 惜しまれつつ長良線が廃止となりました。

 自動車の増加が更に進み都市交通政策が行き詰まった今日、欧米や日本では数多くの都市で
 路面電車の復権が始まっています。
 「人と車と路面電車の共存」という困難なテーマに立ち向かい続ける関係の方々の努力に、
 敬意を表さずにはいられません。


(これより追記)
 しかし、平成17年3月31日をもって名鉄岐阜線区の全路線(名鉄揖斐線、岐阜市内線、
 美濃町線、田神線)は廃止となりました。

(ここまで追記 2005年 7月28日)


  岐阜駅前、新岐阜駅前 2000年 7月 撮影
  忠節橋、忠節橋南、千手堂 2000年 6月 撮影
  忠節、徹明町 2000年 5月 撮影








(過去のページ)岐阜市内線の旅   Vol.10      2017年 8月21日
前回 2005年 7月28日
初版 1997年 3月11日
URL  https://www.minoden.com/sline/sline.html